激動の時代を駆け抜けた、サイバーエージェント時代
overflow田中慎(以下、田中):まずは、紫竹さんがこれまでどのような経歴を歩んできたのかお聞かせください。新卒でサイバーエージェントに入社されていますが、どういう経緯で入社に至ったのでしょうか?
紫竹佑騎氏(以下、紫竹氏):大学時代の話になるのですが、当時大手IT会社でインターンをしていた友人がいて、彼と一緒にそのIT会社のエンジニアと話したり、時にはハッカソンに参加したりして、本当に多くの刺激的な出会いがありました。
その中に、未踏ユースに参加してた落合陽一君など、同世代の面白い人に出会うことがあって、いつしか自分でも「起業したい、事業を作りたい」という思いが強くなっていったんです。
田中:学生時代から起業意識というか、自分で事業をやってみたいという思いが強かったんですね。
紫竹氏:そうですね。サイバーエージェントは、一つの会社だけどシリコンバレーのエコシステムのような形で、「失敗した者にまたチャンスを与える」という文化があることが素敵だなと思っていました。面接では「新しい事業を作っていきたい!」ということを言っていましたね。
田中:サイバーエージェントでは、どんな経験をしてきたのでしょうか?
紫竹氏:本当に環境や人に恵まれまして、いろいろな挑戦ができました。最初は芸能人ブログ周りの開発を担当していて、データセンターに行って自分で使うサーバーをラックに積むのを手伝うところからやらせてもらえました。そこから、スマートフォン事業が本格化してソーシャルゲームや動画系サービスの立ち上げを行っていきました。
ソーシャルゲーム事業に携わっていた際に、当時のサイバーエージェントの技術部門を率いていた、名村卓さん(現メルカリCTO)と一緒に仕事をさせていただく機会があり、そこでソフトウェアエンジニアとしての働き方に感銘を受けて、そこから本格的にエンジニアリングを学んだんです。
名村さんは、例えるなら「もののけ姫に出てくるシシ神様」のような偉大な存在ですね。名村さんが歩いたあとに花が咲いて、それを急いでプランターに植え替えて整備する仕事をしていたので(笑)。
名村さんのように、新しい技術を積極的に導入していくエンジニアから学べる環境にあったことは、本当にすごく自分の財産になっています。それ以降は新しい技術が出てきても、ドキュメントをすぐに理解して、現場で活用できるようになりました。
サイバーエージェントを卒業、そして仮想通貨の世界へ
田中:入社8年目で退職されていますが、何かキッカケがあったのでしょうか?
紫竹氏:サイバーエージェントは自分にとって本当に恵まれた環境だったのですが、「仮想通貨の取引所でCTOとしてビジネスをやれる」というチャンスを貰えたからです。
当時、サイバーエージェントで一緒に働いていた同僚に、ジョナサンというイギリス人のエンジニアがいたんですけど、ジョナサンが「ビットコインという面白い仕組みがあるよ」と言ってたんです。
ちょうどマウントゴックス事件(※1)の前で、1ビットコインが2万円いかないくらいの時ですね。その時は「怪しい外国人がいるな(笑)」みたいな感じでしたが、熱弁されたので「どういう仕組みだろうか」と調べてみたら、めちゃくちゃ面白かったんですよね。そこから、ボーナスで出た給料の中で余っていたお金を全額ビットコインにしました。
(※1)2014年、仮想通貨取引所マウントゴックスで、巨額の仮想通貨が消失した事件。当時、仮想通貨を所有していた人だけでなく、世界中の投資家にも衝撃を与えた。
その後、マウントゴックス事件が発生しました。渋谷にあるセルリアンタワーに入っていたマウントゴックス社にジョナサンとアポなしで駆けつけたら、ビルの前でテレビ東京のワールドビジネスサテライト(WBS)にインタビューされましたよ。
田中:その後は、イーサリアムやリップルなど多くの通貨ができましたよね。
紫竹氏:そうそう! その時に、インターネットが生まれた時のようなワクワクをとても強く感じたんです。ぶっちゃけ、仮想通貨って「怪しい」というイメージの人がたくさんいると思います。
でも、インターネットができた当初も、みんなインターネットを怪しがっていたと思います。今やインターネットは私たちの生活の中で当たり前になっていますよね。
これは持論ですが、ビジネスは市場が成熟してきたり、みんなが騒ぎ始めたりする時ではなく、怪しい時こそチャンスだと思うんです。実際、そうやってビジネスに乗り込んだ人は、今成功しているんですよ。
だからこそ、この時は「インターネットの潮流」と「ブロックチェーンの潮流」が重なって非常にワクワクして、これは「これからの自分の人生をかけて取り組みたいこと」だなと。
田中:非常に濃い経験をされていますよね。そういえばサイバーエージェントで紫竹さんと一緒に働いていたとき、いろいろな種類の仮想通貨を購入していましたよね!
紫竹氏:あとはサイバーエージェントをやめる時に、当時の上司から「30代でのエンジニアはガムシャラに技術力を伸ばすほかにも、自分を底上げしてくれる環境を選んで働いた方がいい!」という言葉をいただいて、いまもこの言葉を覚えています。
Mr. Exchange CTO就任
田中:Mr. Exchangeへはどのような経緯でジョインされたのですか?
紫竹氏:実はサイバーエージェント在籍時、何度かコンタクトをとって仕組みについていろいろ勉強させてもらっていたんです。ブロックチェーンの流れがきていたこともありますし、Mr. Exchangeが目指している思想がすごく好きだったので。
そこから約半年間、たまに連絡をとりながらシステムの話や進捗を聞いたりしていて、正式にリリースするというタイミングになって、CTOとしてジョインすることに決めました。
そのあとは福岡のテレビ番組で仮想通貨について取り上げていただく機会を得たり、さまざまなことを経験できましたね。
ちなみに、サイバーエージェント卒業からMr. Exchangeへのジョインについては、私のブログに詳細を記載していますので、そちらもご覧ください(笑)
サイバーエージェントを辞めて仮想通貨取引所CTOになる物語|79さん@ blog
田中:でもぶっちゃけた話、ソフトウェアエンジニアから仮想通貨への転身は、キャッチアップが大変だったのではないでしょうか?
紫竹氏:いや、それが実はそんなことはなかったですね(笑)
仮想通貨交換業は金融業なので、専門的な知識は当然ながら必要です。でも、「ユーザーが熱狂的になるポイントを作る」という点では、サイバーエージェント時代にやってきたことと変わりはありません。
つまり、土俵が金融業に変わったということだけ。仮想通貨やFX、株とか、自分でやってみると意外とすぐに理解できます。まずは自分がユーザーとして体験してみる、ということは大事ですね。
田中:ブロックチェーンなど、技術的な観点ではどうですか? 難易度は決して低くはなさそうですが。
紫竹氏:ブロックチェーンの仕組みってすごく画期的ではあるんですが、2008年くらいにはすでに存在していた技術なんです。特に使っている言語が新しいとかそういうのはなく、メディアとかエンタメとかと一緒で、「作る」という技術さえあれば何とかなります。ここは本当に本人の興味次第だと思いますよ。
田中:おお、そうなんですね。では、Mr. ExchangeのCTOとして、当時はどのような活動をされていたのでしょうか?
紫竹氏:日本の仮想通貨取引所の中でも特殊な「DEX」という仕組みを理解してもらい、Mr. Exchange を信頼してもらうために技術情報と、会社としての取り組みの発信を行っていました。さきほどお話ししたテレビへの出演もその一つです。とにかく市場を啓蒙していくこと、そこに力を注いでいきました。
あと技術的な部分ですが、DEXを運用するにあたって、分散型台帳として使っていたXRP Ledgerの挙動の癖や、不具合を気にしながらお客様の入出金に不具合が出ないように運営するところに苦労しました。
ほかにも当時は仮想通貨交換業者としての登録の対応が多く、圧倒的な作業量をこなしながらの業務だったのでとても苦労しました。本当はあまり良くないのですが、ついつい時間を惜しんで朝まで作業したり、会社の床で寝たりしながら頑張っていました……。
田中:社会に啓蒙活動を行いつつ、プレイヤーとしても縦横無尽に働くその姿勢は尊敬します。でもちゃんと寝ないとですね(笑)
紫竹氏:当時は死に物狂いでしたからね(笑)
田中:ちなみにMr. Exchange 時代、サイバーエージェント時代と比べて働き方はどのように変わりましたか?
紫竹氏:働き方は勤務時間など自由に調整できたのですが、取締役としての参画だったのもあり、暇さえあれば仕事に関連する勉強の時間に充てていました。仕事も勉強もやればやるほど会社が前に進む感覚が、サイバーエージェント時代とはまた違って感じられてとても楽しかったですね。
インターネットの次なる潮流の最前線へ
田中:Mr. Exchangeを退いた後、紫竹さんはどのような活動をされているのでしょうか?
紫竹氏:しばらくの間、個人事業主やフリーランスとして、企業向けにブロックチェーン関連のアドバイザーなどをしていました。
ありがたいことに、ブロックチェーン関連で国内外から多くの相談いただくようになり、その後「合同会社暗号屋」を立ち上げました。現在は福岡と東京をベースに、法人としてブロックチェーン技術に関連した技術開発やコンサルティングなどを行っています。
田中:紫竹さんは今やその分野では第一人者ですね! 今後は採用を強化していくのですか?
紫竹氏:そうですね、今後は組織力を強化していきたいと考えています。国内外から相談をいただく案件は、いずれも上流からの話で非常に面白いと思います。もし、福岡や東京で良いエンジニアやデザイナーがいればぜひご連絡ください。ちなみに東京の場合は、リモートになります。
田中:今後の野望とかありますか?
紫竹氏:Mr. Exchange にいる時にも目指していた「ブロックチェーンが普及されることで再構築出来る新しい金融の仕組み」を作りたいです。ブロックチェーンができて、金融業界が大きく変わるかもしれないという期待感が業界にあったのですが、現状はあまり変わっていないですからね。
新しい取り組みとして、STO(セキュリティ・トークン・オファリング)(※2)などをやっている人も増えてきていますが、僕はもっと金融の仕組みを大きく変えていきたいと考えています。
(※2)SECのレギュレーションを満たしたトークンのこと。
田中:もし今後、ほかのプロジェクトや事業に関わっていくとしたら、どういうものが良いですか?
紫竹氏:ブロックチェーン関連で尖っていきたいと考えているので、ブロックチェーンのプロジェクトで面白いものがあれば受けたいなと考えています。
一般的なほかのWebサービスは好きですが、今はあまり考えていませんね。やっぱり仮想通貨って面白いなっていうところがあって転職したので。
エンジニアはもっと自由で、もっとわがままに
田中:紫竹さんは今後の「エンジニアの働き方」についてどうお考えですか?
紫竹氏:今後は非正規雇用というか、業務委託的な働き方を選択するエンジニアが増えてくるのではと考えています。雇用する側としては、副業エンジニアは「事業へのコミットが弱いんじゃない?」と思われてしまうこともありますが、全然副業でもやる人はやりますからね。
また、転職を勧める訳ではないのですが、外に目を向けることで世界が広がりますし、やってみたら良いのになと思っていますね。
僕自身、サイバーエージェントに勤めている時にエンジニアをやりながら、副業や趣味でデザイナーとしてフライヤーを作ったり、「BaPA」というバスキュール社とPARTY社が開講していたデザインとプログラミングの学校に通ったりして、幅を広げる活動をしてきました。
バスキュール×PARTYが開く学校『BAPA』の狙い。デザインとプログラミングの境界線は無くなるか。
Mr. Exchangeに在職中から関わっていたこともありますが、これまで経験したことが全てつながって今があると考えています。これは僕自身の経験によるものですが、組織の中で何もしないことは、将来の自分の可能性を狭めていることと一緒かなとも思います。
田中:僕らの運営する副業マッチングサービス「Offers」では、技術力の高いエンジニアやデザイナーがより自由なキャリアを選択できる社会にしたいと思って開発しています。
紫竹氏:これまで中央集権だったものを非中央にして、分散させて行く側になるということですね。「人材の流動性を高める」こと。
田中:まさにその通りです。
紫竹氏:流動性が低いと市場がダメになるというのは金融で非常に痛感したことなので、「人材の流動性」は次のインターネットの世界にとって大事なキーワードだと思っています。
シェアリングエコノミー然り、満遍なく使われる社会の方がプラスになると思いますし、次のインターネットの役割だと考えていますね。
田中:うちの会社は創業から1年半、社員ゼロで経営しているんですよ。
紫竹氏:僕もやっぱりその方がいいと思いますね。業務委託をしていて面白いのが、最初はお手伝いという気持ちで入っていても、手伝っている会社にどんどん感情移入してきて(笑)
一緒に仕事をしていたら、「これちゃんと続いて欲しいな、しっかりとコンセプトを聞くところから始めたいな」となりますし。「誰に向けて作るんですか?」みたいな上流設計・ビジネス要件から気になるようになってきましたね。
田中:面白いですね。業務委託で関わるうちに自分ごと化してコミットしていく流れ。さきほどもおっしゃっていましたが、正社員じゃないとコミットメントが低いということはないですからね。
本日はありがとうございました!