「地味の積み重ねが派手さに繋がる」井上裕一が社会人1年目で学んだデザイン哲学

活躍中のあの人や、話題のあの人にも、必ず新人だった頃がある。「バック・トゥ・ザ・フレッシュマン」では、社会に出て間もない頃の経験や教訓が現在にどう活きているのかを探っていきます。第2回にご登場いただくのは、株式会社カラス所属のデザイナー井上裕一さん。「ダジャレコード」というダジャレを織り交ぜたブランドを主宰するなど、幅広く活動するようになった背景にはどんな経験があったのでしょうか。

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朝から晩まで地味な作業ばかりだった社会人1年目

井上さんの社会人1年目はどんな感じだったのでしょうか?

大学卒業後は10人規模の広告制作会社に入社して、朝から晩までプレゼンテーション用の資料をひたすら制作していました。本当は広告代理店でグラフィックデザインをやりたかったのですが、そう簡単に入社できるわけでもなく……。

夢が破れた状態だったわけですね。

はい。しかも大学まで九州にいたので、一人暮らしをするのも初めてだし、彼女とも遠距離恋愛になってしまうし、とにかくつらかったです。とはいえ、それを地元の友人に相談するのもダサいなと思って、けっこう我慢していましたね。

仕事はどうだったんですか?

もうめちゃくちゃ怒られていました。怒られない日を数えた方が早いくらい。

なぜそんな怒られてたんですか?

当時は社会人としてのスキルがゼロだったんですよね。段取りが悪いとか、手順がわかってないとか、そういうことでよく怒られていました。

地元に帰りたいと思ったことは?

それはなかったですね。というか、忙殺されてそこまで考えられなかったのかもしれません。でも、一度だけ地元に帰ったことがありました。

何があったんですか?

遠距離恋愛していた彼女にフラれたんですよ。結婚するみたいな目標もない状態だったから当たり前と言えば当たり前で。それで泣きながら新幹線で5時間半かけて帰りました。隣の席になったら嫌だったと思います。まあ、それでも彼女の意志を変えることはできなかったんですけど(笑)。

そうしたら、社会人1年目は仕事もプライベートもどん底だったわけですね。理想と現実のギャップってありましたか?

ありましたね。街中で広告を目にしても「誰かが作ってるんだな」くらいにしか思わないじゃないですか。でも、実際に制作する側になってみると、資料作りにものすごく時間を費やすんですよね。というか、準備の段階でほとんどのことが決まってしまう。だから、いかに完成度の高いプレゼンテーション資料を制作するかがすごく重要でした。気が抜けなかったです。

地味な作業ばかりだったのでは?

そうですね。1日中資料を探し回ることもありました。ただ、教訓になっていることもあって。あるとき、先輩が「地味なものの積み重ねで、派手なものができる」と言っていて、それが今でも記憶に残っています。

神は細部に宿る的な?

みんなが「きれいだな」とか「魅力的だな」と思うようなものって、目に見えない部分にこだわりがあったりするんですよね。それは今でもすごく考えます。特に今は後輩デザイナーのマネジメントを任されることも増えているので。とはいえ、バランスも大切ですけど。地味でつらい作業ばっかりだと仕事が嫌になってしまいますから。

目の前の仕事をこなしているだけでは道は拓けない

井上さんはカラスが2社目とのことですが、どうして転職しようと考えたんですか?

1社目の会社には4年半ほど在籍していたのですが、将来を考えたときに別のこともやりたいと考えるようになって。そのタイミングで弊社代表の牧野が求人を出していて、「コピーライターが社長なら、デザイナーは割と自由にできるのでは」と思って応募してみました。そしたら、面接らしい面接もなくすぐ働くことになって少し驚きましたね(笑)。

そんなあっさりと(笑)。でも、ある意味でカラスという会社を体現している気がします。すごく自由というか。

そうですね。あるとき、僕がTwitterに何か投稿して帰ろうと思っていたら、牧野がやって来て「何してるの?」と聞かれたんです。それで素直に「Twitterやってます」と答えたら、「素晴らしい!」とだけ返ってきて(笑)。牧野もTwitterにはすごく力を入れていますし、いわゆる個人の活動を規制するようなことはないかもしれません。

それで言うと、井上さんは「ダジャレコード」というブランドを主宰されていますよね。どういった経緯で始めることにしたんですか?

カラスも所属しているエードットグループでは、「夢を応援する社会をつくる。」というスローガンを掲げているのですが、ちょうど30歳になったくらいで夢に対して考えることがあって。

というと?

それまでは目の前の仕事を頑張っていたら、なりたい自分になれると思っていたんですね。でも、それはどうやら間違いだということに気づいて。そのきっかけを与えてくれたのが、仕事で一緒の時間を過ごすことが多いコピーライターの長谷川哲士です。彼はいろんな活動を自主的にしていて。それで自分も「このままじゃ嫌だな」とか「広告以外でも何かやりたいな」と思うようになりました。

行動しなければいけない、と。

はい。で、思い浮かんだのが「ダジャレ」でした。それも長谷川からの影響が大きいんですけど(笑)。彼はとにかくいろんなところでダジャレを言ってるんです。打ち合わせでも言うし、クライアントの前でも言う。

ところ構わないわけですね。

それに僕が知る範囲では、ダジャレでブランディングしているデザイナーはいませんでした。だから、ブランドにしてしまおうと。それでダジャレの絵をプリントした「ダジャ絵Tシャツ」を作ったり、ピアニスト米津真浩さんによるピアノ演奏会を銭湯で開催する「銭湯のピアニスト」というイベントを企画したりしています。

それによって見えてきたものってありますか?

僕はデザイナーなので、普段の仕事ではデザイン以外のことに深く関わることはないのですが、ダジャレコードはすべてを自分でまかなわないといけないので、勉強になることがすごく多いです。Tシャツを作ってみたはいいけどなかなか売れないなとか(笑)。ダジャレと真面目に向き合いながら、PRやマーケティングの実験をしています。

ダジャレコードでの経験が普段の仕事に活きていることもありますか?

LAWSONの「悪魔のおにぎり」シリーズのデザインに携わっているのですが、商品に描かれているイラストに「あくまでタヌキくん」というキャラクターの名前を入れているんですね。でも、あれってクライアントから頼まれて入れている訳ではなくて。僕が「キャラクター名が入っていたら面白くないですか?」と提案したら、そのまま商品化されたっていう。

普通だったら「取ってください」と言われて、そのまま世に出ないですよね。

そうです、そこはクライアントの懐の広さですね。今では、新商品が出るタイミングで「ここのネーミングを考えてほしい」と言ってもらえることも増えました。だから、自分のやりたいことはいろんなところでアピールしたほうが面白い仕事が舞い込んでくる気がしています。というか、実際にきているので。

ダジャレでデザインを真面目に考えたい

社会人1年目と今を比較して、何が大きく変化したことはありますか?

誰かに影響を与えられる人間になろうと思えるようになりました。それは牧野と長谷川の二人との出会いが大きかったと思います。牧野の社会的な感じや、広告というよりブランド作りを大切にしていこうという思想も好きです。一方で、長谷川からは話題性やバズり方の仕組みや作り方を学びました。二人から得たことを糧に、ダジャレで社会問題を解決したいと思います。そして、ダジャレの価値を世の中に示していけたらと思っています。

ある意味で師のような存在なんですね。

そうですね。今は後輩もいるので、自分が社会人1年目のときに感じたことや、二人から吸収したことをうまく伝えていきたいです。あとはダジャレコードで代表となるような仕事をしたいですね。「Supremeとコラボしました」とか「BEAMSとコラボしました」みたいな(笑)。

インタビュー:かえで、村上広大
執筆:かえで
編集:村上広大
撮影:北村 渉

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